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STRAYDOG『アオイの花』を観劇した稲吉くんからのメール
キッチンに届く、子供たちの歓声。いつもと変わらない日常。唐突に娘を奪われ、突きつけられる「死」。愛娘が命をかけて教えてくれたもの、それは「生きる力」だった。

お疲れ様です。

昨晩、STRAYDOG第24回本公演『アオイの花』観てまいりました。

久し振りの観劇でしたが今回は少し毛色の異なる感じでした。
内容は控えますが凄惨な大事件が背景となった手記に基づいた話でして、一層森田亜紀さんの慟哭が迫ります。実話・手記ものの始まりとして導入部も良くオープンニングもお得感があります。
土曜日は残念ながら御一緒出来ませんが君の過大な期待に添え得る作品ですので楽しみにしていて下さい。


大阪には今も遊廓が残っている。そぞろ人恋しい男たちに15分チョイの春を売る天使たちの過去は悲しい。彼女たちが求めるものは真実の愛であり、一人の男を独占したいという強い願いであった。ふとした弾みで無職の男・茂は新地太夫と呼ばれる美しい娼婦・一美と出会い、彼女と共に生きたいが為に女師としての人生を歩むこととなる。仕事は行き場のない彼女達の心の世話をし、共に暮らしてやること。それは一種のメンタルケアで、女の嫉妬に屈しない強い意志と愚痴を聞いてやる忍耐が要求された。その為、一人で数名の世話をするのは至難の業。やがて一美と新たに抱えた娼婦・恵利との愛の情念に翻弄されていく・・・・・・。

『悲しき天使』


は最高だよ。

明日はこの傑作とは少し趣が違いますが期待は裏切らないと思います。


(稲吉より)


| 17:52 | - | - |
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つがる山吹亭
公式ホームページができました。

東京に居るつがるの人、帰りたくても帰れない人、
つがる地方の野菜、魚を使った料理をみんなで
食べるべし、又、おいしい酒っこのむべ!
カスべも人参のたらこ和えも、待ってるよ!旨ど〜
豊盃も、安東水軍も、蔵人も、田酒もあるよ!
みんな来てけれじゃ

つがる山吹亭 江良輝雄

つがる山吹亭
| 18:11 | - | - |
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全音符の調べのふたりについて
しろたまというユニットに出会いました。
ふたりは英語と日本語を使って、音楽の流れの良さ、気持ちの良さを追求しているようです。

オカピ(Vo/Gt)のあんまり気にしないぜ的なシンプルな構成のギターと、ハリー(Vo/Pf)の情緒的な歌声が絶妙なバランスで絡み付いているアンサンブルに魅力を感じます。

そして、このふたりが1stミニアルバム『story』を出してからの初のライブとなる『冬のセレナーデ』というイベントを観てきました。


初々しいふたりに、音楽の根源的な感動を感じつつも、なにかライブハウス特有の電気的な白々しさに違和感を感じ、この次は生音の彼らを観てみたいとも感じました。

ふたりはこれから、ギターとピアノというスタイルに拘らず、いろいろな楽器を駆使しながら音楽を楽しんでいくようです。


ジャケット/文=長谷川リョー
| 19:04 | - | - |
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修正ペン
ドローイングしているところを人にみられたくない。なにを描いているのか描きだしたのか自分でも判らない時があるし、きっと他人が観ていて欠伸がとまらない。なにかスマートに落書きする人がいる。それでいて人を引き付ける。正直、あれに憧れる。

線を1本スーと引く。電話中の小粋なイギリス人の悪戯描きのように薄く震えるような線を引いてみても筆圧の強い自分が描いたそれはただただ青っ洟をたらした餓鬼のイタズラ描きのように薄汚い。
何本も線を重ねたりしているうちになにか、何がなんだかわからない不吉な塊になってしまう。何度もやりなおすのに鉛筆ならば消しゴムを使えばいいけれど、鉛筆はモヤッとして古臭かったり、手の側面が黒くなって汚い画用紙が余計汚くなったりして嫌いなので、ボールペンやマジックを使い、修正ペンで描いては消し描いては消しという恐ろしくハイリスクな落書きを繰り返しているうち、これが版画のようなゴリゴリ感がでる。匂いはひどい。体には有害。目の下がなにかピクピクとしてくる。いつも手には白い変な汚れが付いていて、そのまま液が足りなくなって焦りながらコンビニに買いに行き、お釣りを貰う時などはちょっと申し訳ない。でもぼくは修正液の驚くべき効果を知った 。

極細修正ペンでなくてはならない。黒いボールペンを必死こいて1本使い、画用紙をひたすら塗りつぶす。そしてそのうえから極細の修正ペンの先っちょと液を出す量をうまく微調整しながらゴツゴツの質感をだし、根気よく時間をかけて被せていく。

この下地が完成するとこの上から絵を描いていく。修正液が固まった上からボールペンを擦るので恐ろしくカスがでる。絨毯は白い粉まみれになる。こびりついてとれなくなる。テーブルにサランラップを敷くことを忘れてはならない。できればマスクもしたほうが良いような気もするが、まだしたことはない。ボールペンは0.5〜1.6までを使い分ける。使い分けるといってもその方針は一定しているわけでなく、はっきりいって気分次第だ。それぞれの濃さで上から被せた修正液の色気というか効果が変わってくる。気がする。

ここまでやってきて最近気が付いたことがある。museのカラーボードだ。
これを使えばなにも腕を引き攣らせながらボールペンの芯を一本使って、白い画用紙を塗りつぶす必要はなかったのだ。というか、単に黒い画用紙を使えばよかったではないか。
いや、違う。ボールペンを使って塗った下地だからこそのこのゴリゴリ感なのだ。そう無理やり自分に言い聞かせながら、画材店で恐る恐るmuseのブラックボードを買ってやってみるとこれがまた問題なくいい感じだ。
ぼくの挑戦は続く。


文=長谷川リョー
| 16:20 | - | - |
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札幌、500m。足らず
2013年が始まったばかりの1月29日から2月1日、地下鉄の札幌大通駅からバスセンター駅を繋ぐ500m美術館という場所で全長4mの絵『たぶんぼくにしかみえていない風景ときっときみにしかみえていないぼくの知らない風景』を公開制作してきました。この企画は札幌中のギャラリーを一堂に会した「SAPPORO ART MAP」展第1回札幌500m美術館賞グランプリ展 『New Cities』を同時開催するというものです。

ぼくは2年前に札幌での個展でお世話になったアートマンギャラリーさんの展示ブースで小樽から来た平塚ケイ素君と一緒に参加しました。平塚君は隣で寒そうに鼻ををすすりながら小さな渦巻きのぐるぐるを黙々と描いたり、マスキングテープを駆使したり、ツイッター仲間だという駅員さんに缶コーヒーをもらったりして最後には豪奢な金屏風の雰囲気を湛える作品を完成させました。他のギャラリーから出ていたアーチストの方々はそれぞれ制作してきたものを設営、展示するという方法をとっていました。

今回の公開制作は1日で描き切るものでなく4日間という与えられた搬入期間の中で最終日の最終時刻までに作品を仕上げるというものでした。アートマンギャラリーさんの紹介文では「ライブペイント」という言葉を使っていましたがライブペイントと言い切るとパフォーマンス的要素が強く、大袈裟な感じがするので、サービス精神が脆弱なぼくは「公開制作」という態勢をとらせてもらい通勤人や通学人などが行き交う中、時に勢い剰って筆が通路の真ん中にくるくると地をはって飛んでいき忙しい人たちの中に小さなテロを起こしてしまったり、時に生首を描いたりして女子高生の失笑を買ったり、無邪気なお絵描きが過ぎてお世話になったアートマンギャラリーの野口さんを不安に貶めたりもして、結果本人の意図とは違うところでライブペイントの要素も見事に含まれました。




札幌滞在中にもうひとつ、アートマンギャラリーでの「冬展」という共同展に出品するために500m美術館公開制作の前の2日間、ギャラリーをお借りして『トリのトイレ』を制作しました。こちらは展示が開催される前に東京へ帰ってきてしまったので、どんな感じだったのか自分には未だわかりません。。。




6日間で大作を2作描くというのは今までに経験がなく、絵の具が途中で尽きたり、お金が大変だったり、マスキングテープの使い方を今更知ったり、打ち上げで永岡大輔さん(「第一回札幌500m美術館賞」グランプリ)の隣に座れたりでなかなかのスリルを味わえて楽しかったです。
人前で描くことの恥ずかしさや緊張は「たかが絵じゃないか、たかが遊びなんだ」と考えるというやり方で乗り越えているために、おとなのアート関係者が多数集まる場で不謹慎な感じもしますが、こどものアートは「たくさん遊び、たくさん不謹慎」なので、おとなの場で怯むことなく、ぼくにとってぼくなりのアートに違いないものができたその点でやって良かったと思います。

またこんな機会があればどこの場所でも大いに浮き、また、とんだ恥をかきに行きたいとも思っています。


因みに、この美術館の全長は500mないそうです。

文=長谷川リョー


関連記事:
1965)①「SPPPORO ART MAP 展」 500m.美術館  2月2日(土)〜4月19日(金) : 栄通記


| 21:54 | - | - |
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長谷川リョーの、むしろスリーコードだけでいい! 〜夢〜

(タイトル:夢)

夢の中で自分が創作したと思われる構図が突如として浮かび上がることがある。特に朝方が多く、慌てて飛び起きてメモッたり、「憶えていられるだろうか?起きてから憶えていないくらいだったら大したものではないのだぞ」と、ただ起きてメモるのが面倒な言い訳を夢と現をいったり来たりしながらしていることもある。でも結局どちらにせよ、うんこのような、大した絵を描けない僕にとって、慌ててメモッたり余計なメモリを脳に押し入れようとすること事態が馬鹿げている。それに展覧会や街のどこかで見た他人の絵が記憶の容を変えてでてきたに過ぎないかも知れない。
しかし言えるのはいつも何かアイディアになる材料を探している様なのは確かで、どんなに薄汚い絵しか描けない僕でも何故だかこれはやめられな い。

例えば町を歩いていてポスターを見かける。目の悪い僕は遠くにあるポスターがぼやけて何か変な絵に見えることがあり、ぼくの目の前だけで起きているその現象を「そのままモチーフにすれば、オリジナリティーのあるものとなるに違いないぜ!」などと悪い頭で考えてみたりする。
この間などは居酒屋で小さく書かれたメニューがドローイングに見えたりして「酔った頭ではとても目の前に現れた虚像など憶えていられない」と思い、慌ててケータイのカメラで撮影したけど翌朝確認できたのは「ウインナーフライが180円」ということだけだった。

都合の良い夢が都合良く見ようと思って見られるものになってくれたとしたらウインナーフライ180円はどんな絵を僕に見せてくれるのだろう。

文=長谷川リョー




| 20:33 | - | - |
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長谷川リョーの、むしろスリーコードだけでいい! 〜向田邦子〜
喫茶店や呑み屋で2人向かい合って話をしている場合、相手の頭の上に掛かっている絵がどうにも気になって話どころではなくなることがある。「あ、好きだな」とかそいう絵でなく、なんとなく状況と一致してしまっていたり、その場の雰囲気から浮いてしまっていたりする絵のことだ。

向田邦子の短編小説『胡桃の部屋』にこんな一場面がある。
父親が突然蒸発した娘桃子は父親の部下都築に相談を持ちかける。流行らない喫茶店に向かい合うと、桃子は都築から父親が若い女と同棲していることを知らされる。都築のうしろには複製された安手のルノワールの絵が掛けられている。描かれているころころ肥った若い女はルノワールの女中らしかった。胸元をはだけた女中の顔が桃子をぼんやりと見つめている。一瞬夢の中に引きずり込まれたような淡い錯覚に酔う。桃子はルノワールが後年女中を奥さんにした人だと思い返す。桃子は小さなおでん屋をやっているという父の愛人に絵の女を重ね、老画家ルノワールの禿げ頭に自分の父親をみる。話どころではなくなり桃子は都築に食い下がるように2人が同棲しているアパートへ連れて行ってと頼みこむ。

もう一つ趣は異なるが『隣の女』にはこんな場面がある。
2DKのつましいアパートで主婦サチ子はミシンを踏んでいる。サチ子の背には泰西名画が掛かっている。もちろん複製だ。名画の背後から激しい物音がする。隣の部屋で言い争う男と女の声が後に続く。
「ふざけるな」「ぶっ殺してやる」
泰西名画からこんな台詞が飛び出しているように描いているのが面白いが、一転して、
「ガラスあぶないでしょ」「ねえ、ガラスあぶない」「あぶない」「大丈夫だよ」「あぶないったら」「峰子」「ノブちゃん」
絵の背後の息づかいが喘ぎになりやがてかすかに名画が揺れはじめる。サチ子はミシンどころではなくなり、からだがほてり、隣の息づかいに自分の呼吸が合い始める。隣の女のせいではなくぼつぼつ気候が暑くなりはじめたせいだと思い込みたい。外のムッとした青臭さもなんとなく気まずく、曲がってもいない泰西名画を直したりして気を紛らわす。

アパートに詰寄った桃子は愛人を見て、ルノワールの絵の女のようでも、グラマーでも悪女でもなくて拍子抜けした瞬間背負い投げをくらわされたような気分になり、サチ子は泰西名画に聞き耳を立てるのが日課になってしまうし、隣の女の男に恋してニューヨークまで追って行ってしまう。向田作品はどこかかしらに壁に一点できてしまう染みのようなものがある。魅力ある作品はみすぼらしく狭い部屋で書かれている気もする。

そんなことを思ってか本屋でいつもはまったく気にも留めていなかった『向田邦子ふたたび』に目がいく。
所縁の写真、週刊誌の記事みたいなのをごちゃ混ぜに集めたその本を手にとって適当な頁を開けた。そこには革張りの優雅なソファーにドヤ顔で収まる向田邦子と我儘そうな愛猫マミオとチッキーが写っていた。そして頭上には女が2人寝そべって話をしている、なんともみすぼらしいタッチで描かれたドロ−イングが掛けられていて、僕はもう向田邦子どころではなくなり、いまだ誰のものかもわからぬその絵欲しさに導かれてレジへと一目散に駆ったのだ。


(タイトル:向田邦子の絵画感)

文=長谷川リョー



12.12/2 9:44
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長谷川リョーの、むしろスリーコードだけでいい! 〜げいじゅつの秋〜
画用紙から主題をはみ出るように描く、見たままを描かない。
小学校の写生会の絵には色々なテクニックが在る。
先生は所謂旨い絵が嫌いだった。
こどもの様な絵をこどもがのびのびと描く。それが理想だ。
拙く、力強くやればある程度の評価がでる。
これはなぜなんだろう。


友だちの竹内さんは絵が旨かった。大人びた感じのバランスの良い構図に色もはみださせず、丁寧に塗っていた。
ぼくは竹内さんの几帳面な絵が好きだった。うす汚く自分で見るのもいやだった自分の絵と比べて竹内さんの絵はぼくには光っていた。浅ましいけど、うす汚くて評価されないぼくの絵よりも旨くて評価されない竹内さんがうらやましかった。

ある年の写生会で竹内さんは新興住宅が連なる田舎の街並みをこどもが描く絵をまねたような書き方をした。それはいかにもの無邪気さを無理に表現した厭らしい絵だった。

飽くまでぼくの絵のうす汚さは天然であり、強いていえばそのことのみが今思うとぼくを決定する特徴でもあった。

竹内さんを決定する特徴はあきらかに誰にも真似できない絵の旨さだった。あの洗練された構図だった。

竹内さんはこどものふりをして描いたその絵で全校の金賞を受賞した。


そんな竹内さんは歯科医になり、ぼくはうす汚い絵を未だに描いている。大人になってから竹内さんに会った時、「Мちゃんの描く絵がすごく好きだった」と告白すると竹内さんは「わたしは小さいころわたしが描いた絵のことはほとんど何も憶えていない」みたいな意味のことを言った。
ぼくはああ、そういうことなのかと妙に納得した。
つまり芸術とは追憶のことなのだと思った。

(タイトル:竹内さん)

文=長谷川リョー




12.10/14 15:47
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『砲台から』から 〜たぶんぼくにしかみえていない風景ときっときみにしかみえていないぼくの知らない風景〜

桜上水にある、アトリエ兼アートと雑貨のお店ぐうの音で月1、一枚ずつ絵を変えながら展示・販売していく「たぶんぼくにしかみえていない風景ときっときみにしかみえていないぼくの知らない風景」という企画です。


ぐうの音での展示について

お菓子屋や雑貨屋、服屋の窓のむこうに絵が掛けれているのを見つける。自転車で通りを走りながらこれに出会ったりすると対外にぼくは「お、いいね」と思ってそこまで引き返して絵を確認してみたりする。ガラスドアの窓の外から眺めてみて「おおすごい」と思う。ここまでは「ウィンドウ鑑賞」で、本当に「絵を鑑賞した」とはいわない。「おおすごい」が「気になる」に変わり「ちょっとちゃんと観ようかな」に変化すれば当然ドアを開けて店の中に入ってゆく。

これがいけない。

店内には当然商品たるものがあり、お菓子屋ならば菓子、雑貨屋なら雑貨、服屋なら服などというように雑然としている。そして大音響で酔狂な音などが流れている。気が漫ろになる。冷や汗が腋を濡らす。神経が麻痺する。遠い記憶が蘇る。爪先がむずむずとする、つまり絵などどうでもよくなってくる。こうなるともうぼくは店側の術中に嵌っている。で、店を出るころにはそこの店の袋を抱えていたりする。

で、そんな自分も考えてみると店の形態を採っているぐうの音で展示を始めた。でもぐうの音は普通の店じゃない。ぐうの音は黄色い勢力君のアトリエでもあるし、小さくて壊れにくい基地の様でもある。黄色い勢力君は言う「うちの商品は売れても売れなくてもいい、つまり作家を応援するという立場を採っている。無限に続けられる月一展示は画家としての自分を他人や自分にも認知させるものだ」。気が楽になり、腋の汗もひいていき、神経は研ぎ澄まされる。
「たぶんぼくにしかみえていない風景ときっときみにしかみえていないぼくの知らない風景」という展示タイトルでライフワークにしていきたいと考えています。

文=長谷川リョー


12.10/13 17:02
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長谷川リョーの、むしろスリーコードだけでいい! 〜忌まわの物語〜
ぼくがはじめて聴いたキヨシローの曲は『ステップ!』でした。感想は「あれれ?」です。
「はじめて聴いた」と書きましたが、それは本格的にという意味で、まちの片隅で、なにかのテレビで、誰かの言い伝えで、存在は意識していたのです。それからいろいろあって、「これからキヨシローを好きになろう」と決めた出不精の中学生のぼくが、地元の山を長々降りたところにある生協のCDショップ「にゅ〜・うぇ〜ぶ」で手に入れたRCのベスト盤。その1曲目が「ステップ!」!?
なんたる惨めな境遇でしょう。なんたる不幸な音楽遍歴でしょう。風雪吹きすさぶ山道を一時間近くかけ歩いた疲れがどっと出て、歌詞カードを持つ手は震えていました。しかし音楽の神はぼくを見放してはいませんでした。がっかりするのはまだ早かったのです。なんと2曲目は『トランジスタラジオ』です(なんという強引かつ大胆な選曲!)。あの出だしの誰にでも弾けそうなチャボのギターを聴いたとき、「ああ!これでよかったんだ」と、あかぎれだらけの手を握りしめ、それを高く高く振り上げたのでした。おしまい。

文=長谷川リョー(今は結構好き 12.8/31 23:17

(タイトル:忌まわの物語)


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