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私的日本百景〜西新宿、「壷屋」跡地〜
私的日本百景〜西新宿、「壷屋」跡地〜
摩天楼が見下ろす西新宿、成子天神辺りから青梅街道を脇道に入ると、近代的な高層ビル群とは対照的な木造建築の家屋、アパート、昭和からまったく変わっていないような商店や銭湯といった風景の中に吸い込まれる・・・筈だった。少なくとも二〜三年前まではそうだったと思うが、久々に足を運んでみると、建物が取り壊された後の更地や建設中の新しいビルなどが目に付いた。

そりゃそうだ。ミレニアムからもう八年も経っているんだから。
沖縄料理「壷屋」は、そんな風景の中、スナックや小料理屋が並ぶ横丁の一角に店を構えていた。沖縄出身のおばちゃんが一人で切り盛りする店内は、カウンターにテーブル一つの、十人も入ればぎゅうぎゅう詰めの、小さな小さな、風が吹けば飛びそうな店だった。その「壷屋」の客の中に、父がいて、母がいた。ここで二人が出逢って、自分が生まれた。

物心ついてからは、自分も「壷屋」によく連れて行ってもらった。神宮や後楽園で野球を見た帰りなどが多かった。今でこそ、街を歩けばどこでも沖縄料理の看板が目に付くが、当時はまだ珍しかったと思う。おばちゃんの作る、本物のソーメンチャンプルー、ラフティーは抜群に美味しかった。一見さんは限りなく入りづらい店だったので、そこで普通に食べることの出来た自分は幸せだったと思う。

十人入るか入らないかの小さな「壷屋」の何十周年かを祝うパーティが催されたことがあった。もちろん会場は店ではなく、ちゃんとしたホテルで。出席した常連客は二〜三百人はいたように思う。あの小さな店がこんなにも多くの客を抱えていたことが驚きだった。乾杯の音頭をとったのは、常連客の一人、映画監督の東陽一だった。

昭和の文化人達に愛された「壷屋」も、今から十年くらい前におばちゃんが亡くなり、ひっそりと閉店した。主人を亡くした店は、手付かずのまま廃屋として、その後もその場所に佇んでいた。少なくとも今から二〜三年前までは、まるでそこだけ時が止まったように、ただあった。



…今日訪れてみて、「壷屋」を含むその横丁が取り壊されて工事中だったのを見て、淋しさとともに、正直ホッとした。

もう誰も来やしないのに、建物だけがそこに放置されているなんて、かわいそうだから。

青梅街道を挟んだ向こう側には、やっぱり摩天楼がそびえ立っていた。この風景はずっと変わらないのだろう。

文=Dr.K
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