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長谷川リョーの、むしろスリーコードだけでいい! 〜げいじゅつの秋〜
画用紙から主題をはみ出るように描く、見たままを描かない。
小学校の写生会の絵には色々なテクニックが在る。
先生は所謂旨い絵が嫌いだった。
こどもの様な絵をこどもがのびのびと描く。それが理想だ。
拙く、力強くやればある程度の評価がでる。
これはなぜなんだろう。


友だちの竹内さんは絵が旨かった。大人びた感じのバランスの良い構図に色もはみださせず、丁寧に塗っていた。
ぼくは竹内さんの几帳面な絵が好きだった。うす汚く自分で見るのもいやだった自分の絵と比べて竹内さんの絵はぼくには光っていた。浅ましいけど、うす汚くて評価されないぼくの絵よりも旨くて評価されない竹内さんがうらやましかった。

ある年の写生会で竹内さんは新興住宅が連なる田舎の街並みをこどもが描く絵をまねたような書き方をした。それはいかにもの無邪気さを無理に表現した厭らしい絵だった。

飽くまでぼくの絵のうす汚さは天然であり、強いていえばそのことのみが今思うとぼくを決定する特徴でもあった。

竹内さんを決定する特徴はあきらかに誰にも真似できない絵の旨さだった。あの洗練された構図だった。

竹内さんはこどものふりをして描いたその絵で全校の金賞を受賞した。


そんな竹内さんは歯科医になり、ぼくはうす汚い絵を未だに描いている。大人になってから竹内さんに会った時、「Мちゃんの描く絵がすごく好きだった」と告白すると竹内さんは「わたしは小さいころわたしが描いた絵のことはほとんど何も憶えていない」みたいな意味のことを言った。
ぼくはああ、そういうことなのかと妙に納得した。
つまり芸術とは追憶のことなのだと思った。

(タイトル:竹内さん)

文=長谷川リョー




12.10/14 15:47
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