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私的日本百景〜道玄坂「八九十」〜
2005年に日本に帰ってきて以来、職場と家を除けば、最も沢山お世話になった場所は、「八九十」ではないだろうか。

「八九十」は道玄坂と246が交わる辺り、スパイスガーデンなるカレー屋の2階にある居酒屋である。

僕が3年前に帰国した頃、映像系専門学校以来の友である酒仙ジェイ氏は、自らの居酒屋を営もうと準備を進めていた。ある日僕が合羽橋商店街に包丁を買いに行ったときのこと。向かいから商店街を歩いてくる顔見知り二人に出くわした。なんとそれはジェイ氏とその相棒アイザワ氏であった。店の調理用品を買出しに来ていたのだ。滅多に来ることのない場所での遭遇は、それ自体は自分の人生に何か影響を及ぼしたりするようなことではないのだが、決して忘れることの出来ない思い出の一場面として脳裏に焼き付いている。

…そして「八九十」は開店した。「八九十」はぶらりと気軽に立ち寄れる店、お客同士が気軽に話せる店、みんなが集える店になった。何故か一人で来る客が多く、カウンターにみんなが並んで飲んでいる光景がおなじみになった。「八九十」が無ければ知り合うことも無かったであろう素敵な人達は沢山いる。「八九十」が無ければ、なかなか再会する機会もなかった昔の仲間もいる。

オム角煮飯は美味い。

ラクサ・ヌードルも美味い。

掻き揚げ丼はやめられない。

そして「八九十」での出会い、それはプライスレスだ。



花に嵐のたとえもあるが、さよならだけが人生ならば、また来る明日は何だろう?

花に嵐のたとえもあって、さよならだけが人生だとしても、「八九十」ではこれからも、人々が出会い、物語を生み出していくだろう。

また会いましょう。

文=Dr.K
私的日本百景〜道玄坂「八九十」〜
酒仙ジェイ氏
| 03:23 | - | - |
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私的日本百景〜デパート屋上遊園〜
町田東急百貨店屋上プラネタリウム閉鎖の看板

子供の頃の休日といえば、よく父親がデパートに買い物に行くのに付いていったものだ。デパートでまず楽しみだったのが、おもちゃ売り場を覗くことだ。テレビゲームが遊びの主流になる以前のおもちゃ売り場というのは、今よりずっと広かったのだ。

人生ゲームなどのボードゲームがブームで、我が家にも『お化け屋敷ゲーム』と『少林寺必殺拳ゲーム』があった。レゴ、ダイヤブロック、ゾイド(知ってるかな?)などの組み立て系おもちゃや、アニメや特撮のロボットの超合金、ラジコンなど多種多様な、かさ張るおもちゃが多かったから、売り場も広かったように思える。ちなみに我が家は大ブームだったガンプラが禁止だった。理由は、組み立てに使うセメダインの匂いを嗅ぐと馬鹿になるからと。

次のお楽しみは、洋食、中華、和食となんでもある食堂での食事だ。なんでもあるのだけれど、自分の注文するものは選ぶまでもなく、お子様ランチと決まっていた。チキンライスに国旗が立っている様なやつだ。少食だったので、すぐお腹いっぱいになりよく残したが、残したものはいつも全部父親が食べて片付けた。そのせいか今では自分が、人の残したものも頂いて全部きれいに食べてしまうようになった。
そしてなんといってもデパートに来たら、屋上に行かなくては。デパートの屋上には、遊園地、金魚屋、ソフトクリームなどの軽食スタンド、野外ステージでのスーパーヒーロー・ショーなどなど、実にバラエティに富んだ楽しみがあった。

遊園地といっても、六本木のドンキホーテの屋上に作られたような絶叫マシーンではなく、アスレチックや、百円玉を入れると恐ろしくのんびりとしたロデオ・ボーイのような動きをする遊具、またがってハンドルを自分で操作して動かす熊やパンダなどがあった。

町田東急百貨店屋上最大の売りは、プラネタリウムだった。

椅子の背もたれをぐっと倒し、輝く無数の星に吸い込まれる。ナビゲーターのささやくようなウイットに富んだ語りに癒され、ロマンに溢れた星座の神話に聞き入る。

やがて東の空から太陽が昇り、場内がうっすらと明るくなると、なんとも名残り惜しい気持ちになる。

それからはしばらくの間、遥かな星の世界の虜だ。

たった数百円の入場料で、子供から大人まで日常を忘れさせるプラネタリウムは、上質のエンターテイメントだ。あのナビゲーターは尊敬に値する。

久々に町田東急の屋上に上がろうとしてみた。そこにはプラネタリウム閉鎖の看板が出ていた。

ならばと小田急デパートへ行き、レストラン街から螺旋階段を登り、屋上に出てみる。そこには一切の遊具も軽食スタンドも無く、ただただだだっ広いスペースがお日様に照らされているだけであった。

もはやここも夢のあとと化してしまったのであろうか。ああ夢のあと。

文=Dr.K
私的日本百景〜デパート屋上遊園〜
| 22:04 | - | - |
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私的日本百景〜西新宿、「壷屋」跡地〜
私的日本百景〜西新宿、「壷屋」跡地〜
摩天楼が見下ろす西新宿、成子天神辺りから青梅街道を脇道に入ると、近代的な高層ビル群とは対照的な木造建築の家屋、アパート、昭和からまったく変わっていないような商店や銭湯といった風景の中に吸い込まれる・・・筈だった。少なくとも二〜三年前まではそうだったと思うが、久々に足を運んでみると、建物が取り壊された後の更地や建設中の新しいビルなどが目に付いた。

そりゃそうだ。ミレニアムからもう八年も経っているんだから。
沖縄料理「壷屋」は、そんな風景の中、スナックや小料理屋が並ぶ横丁の一角に店を構えていた。沖縄出身のおばちゃんが一人で切り盛りする店内は、カウンターにテーブル一つの、十人も入ればぎゅうぎゅう詰めの、小さな小さな、風が吹けば飛びそうな店だった。その「壷屋」の客の中に、父がいて、母がいた。ここで二人が出逢って、自分が生まれた。

物心ついてからは、自分も「壷屋」によく連れて行ってもらった。神宮や後楽園で野球を見た帰りなどが多かった。今でこそ、街を歩けばどこでも沖縄料理の看板が目に付くが、当時はまだ珍しかったと思う。おばちゃんの作る、本物のソーメンチャンプルー、ラフティーは抜群に美味しかった。一見さんは限りなく入りづらい店だったので、そこで普通に食べることの出来た自分は幸せだったと思う。

十人入るか入らないかの小さな「壷屋」の何十周年かを祝うパーティが催されたことがあった。もちろん会場は店ではなく、ちゃんとしたホテルで。出席した常連客は二〜三百人はいたように思う。あの小さな店がこんなにも多くの客を抱えていたことが驚きだった。乾杯の音頭をとったのは、常連客の一人、映画監督の東陽一だった。

昭和の文化人達に愛された「壷屋」も、今から十年くらい前におばちゃんが亡くなり、ひっそりと閉店した。主人を亡くした店は、手付かずのまま廃屋として、その後もその場所に佇んでいた。少なくとも今から二〜三年前までは、まるでそこだけ時が止まったように、ただあった。



…今日訪れてみて、「壷屋」を含むその横丁が取り壊されて工事中だったのを見て、淋しさとともに、正直ホッとした。

もう誰も来やしないのに、建物だけがそこに放置されているなんて、かわいそうだから。

青梅街道を挟んだ向こう側には、やっぱり摩天楼がそびえ立っていた。この風景はずっと変わらないのだろう。

文=Dr.K
| 01:19 | - | - |
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私的日本百景〜向ヶ丘遊園跡地〜
向ヶ丘遊園ショッピングモール跡地

近所には二つの遊園地があった。

一つはよみうりランドで、もう一つは向ヶ丘遊園。両方とも子供の頃はよく遊びに出かけた。

よみうりランドの方が、次々と新しい絶叫マシーンを導入したりと、何かと刺激的ではあったが、向ヶ丘遊園に行くことの方が多かった。

何故なら、新聞屋さんがくれるのが、向ヶ丘遊園のチケットだったから。

向ヶ丘は向ヶ丘で、よみうりランドにはない魅力があった。入場ゲートから丘の上の遊園地へと続く大階段は、さながら宝塚歌劇の様であったし、その階段の脇にはスキー場にあるようなリフトがあり、子供としては、これで上まで行くのが楽しみでしかたがなかった。

園内は季節ごとにフラワーショーが開催されたり、湖の周りを走る小さな汽車があったり、その湖でスワンボートに乗ったりと、刺激的なよみうりランドに対して、メルヘンチックな向ヶ丘遊園といった感じであったと思う。

忘れてならない向ヶ丘遊園の特徴としては、小田急線の駅から遊園地入り口まで、モノレールが走っていたことであろう。

歩いても10分かからない程度の距離なので、必要ないと言えば必要ないのかもしれないが、このモノレールこそ、子供達をお伽の国へと誘う重要な役割を果たしていた様に思う。モノレールといっても昭和の代物。現在のゆりかもめなどでは味わえぬ、重量感たっぷりの音と乗り心地であった。車内にはいつも、口笛のメロディーが流れ、子供達をメルヘンな気持ちにさせていた。
モノレールを下り、ゲートから入場すると右手に、小さな、今で言うところのショッピング・モールがあった。ここでは玩具やお土産などを売っていた。

向ヶ丘遊園で好きな乗り物といえば、ボブスターという名の小型ジェットコースターだった。もちろん宙返りなどはないが、小型ならではの細かい軌道が楽しかった。

乗り物ではないが、なぜかやらなければ気が済まなかったのが、輪投げだ。大きな丸いテーブルの上には、子供が目移りしそうな商品が並び、それらを狙って何度も挑戦した。

狙っていた貯金箱に輪がかかったときは、本当に嬉しかったが、その後持ち帰った貯金箱を使った覚えはない。



自分が数年前にカナダに住んでいたときに、その向ヶ丘遊園の閉鎖のニュースを聞いた。

平日はガラガラだったし、経営難であることは想像できたが、たくさんの思い出がある場所だけに、とても淋しかった。

現在その跡地は残っているものの、封鎖されていて関係者以外は入ることが出来ない。

柵の隙間から覗いて見ると、虹のペイントの所々剥げた大階段と、鬱蒼と伸び放題の草木が見え、戻ることの出来ない子供の頃の郷愁に駆られた。

文=Dr.K
私的日本百景〜向ヶ丘遊園跡地〜
| 22:54 | - | - |
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私的日本百景〜銀座文化跡地〜
私的日本百景〜銀座文化跡地〜

初めて1人で映画館に行ったのは、確か高校1年のときだった。

当時はジェームス・ディーンに取り憑かれていた。3本の主演映画はもちろんビデオで見ていたし、彼に関するドキュメンタリーや書籍も片っ端から見ていた。カジュアル・ショップで売っていた千円かそこらの安っぽいジェームス・ディーンのプリントTシャツは、毎日着ていた。毎日だから少なくとも7着はもっていただろう。

そんなある日、授業が午前中のみで午後は休みだったのだが、自宅とは逆方向の電車に乗り千代田線で日比谷へ向かった。

目的地は銀座文化という映画館。初めてで場所もよく分かっていなかった上に、上映開始時間が迫っていて焦った焦った。制服姿で必死に走ってなんとか間に合った。

上映作品はジェームス・ディーンの『理由なき反抗』。

これが自分の1人映画初体験。
銀座文化とは山野楽器の裏手にあったいわゆる名画座で、『理由なき反抗』を見た後も随分とお世話になった。

『ジャイアンツ』、『道』、『家族の肖像』、『赤い河』、『アラビアのロレンス』に『ドクトル・ジバゴ』などなど、リアルタイムで知らなかった名作の数々を劇場で見ることが出来た。

ある意味自分にとっては高校よりも銀座文化の方が学校だった。

やがて時は経ち、銀座文化は隣接していたミニ・シアター、シネスイッチ銀座に吸収され、シネスイッチ銀座2として生まれ変わった。

クラシック作品をいつでもスクリーンで見ることの出来た映画館の終焉は、今考えるとそれも歴史だったのかもしれない。



ちなみに、シネスイッチ銀座は大好きな劇場だ。300人くらいのキャパシティなのに、2階スタンド席がある造りが贅沢感を味あわせてくれるのだ。

ミニ・シアターの2階スタンド席といえば、渋谷のライズXがある。ここはなんと、たった40人のキャパシティなのに2階席がある。ビルの構造上、狭く縦長なスペースに無理やり映画館を造っちゃった感があり、ある意味その芸術的空間を見るだけでも訪れる価値があると思う。もちろん早めに行って2階スタンド席をゲットし、スクリーンを見下ろしてもらいたい。

話が逸れたが、その後もシネスイッチ銀座2に足を運んでいて、もちろんその度に、名画座銀座文化劇場の面影を重ね合わせるのである。

形あるものにはいつか終わりが来る。だから記憶は宝物なのである。

文=Dr.K
| 23:39 | - | - |
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私的日本百景〜数寄屋橋ニュートーキョー〜
子供の頃、よく父親に連れられて銀座に映画を見に行った。初めて劇場で見た映画は、スピルバーグの『E.T.』。『グーニーズ』を見に行ったときは、世の中にこんなに面白いものがあるのかと、しばらく興奮が冷めなかった。

私的日本百景〜数寄屋橋ニュートーキョー〜

映画を見た後は食事でもとなるものだが、そんなときはいつも、数寄屋橋ニュートーキョーのビア・ホールに連れていかれた。いつでもどこでもビールを飲んでいた父親にとって、映画とニュートーキョーはいつもセットだった。

子供だった自分は、当然ビールは飲まないので食べるのみだが、ビア・ホールで食べるものといったら、ソーセージ盛り合わせとか、ジャーマン・ポテトといった類のもの。これが美味かった。


…イタリア映画祭の招待券が当たり、今日久々に有楽町マリオンで映画を見てきた。この辺りも再開発で新しいデパートが出来たりして、随分変わったものだね。
有楽町駅前に出来たマルイ?にもお洒落なミニ・シアターが入ってたりして、映画好きには嬉しい反面、昔からよく通った映画館が元気がなさそうなのは気のせいか?

日比谷スカラ座って、1000人収容の大劇場だった気がするが、隣接するみゆき座と共に規模縮小してしまったみたいだ。

同じく巨大劇場だった東銀座の松竹セントラルは無くなってしまった。今となっては、道路を挟んで向かいの東劇が孤軍奮闘している様に見える。この東劇という映画館は、ミニ・シアターではないのだけれど単館みたいな、掴みどころのなさが愛おしい劇場である。

同じくミニ・シアターではなさそうだけど単館みたいな映画館に、有楽町スバル座がある。なぜかオフィスビルディングの2階にあるという、お洒落さからは懸け離れた雰囲気がまた愛おしいのである。

ここではリバイバル上映の『イージー・ラーダー』を見たのが一番の思い出だ。リアルタイムで見ていない名作を劇場で見れるということで、劇場に向かうときから既に、興奮を抑えられなかった。日比谷シャンテで見た『ラスト・ショー』のときも同様だった。



時代の流れとはいえ、次々と建設されるシネマコンプレックスによって昔ながらの劇場が淘汰されていくのは、やはり寂しい。

映画を見るという行為は、その映画を見るためにその劇場に足を運ぶ行為だったのが、どこも同じようなシネマコンプレックスではそうとも言えなくなってきた。

…話が大分逸れた。

今日はかつて映画鑑賞とニュートーキョーでの食事がセットだった遠い日の郷愁に浸ってみた。ニュートーキョー名物のカミカツを食べながら。

文=Dr.K
数寄屋橋ニュートーキョーミソカツ
| 00:10 | - | - |
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熱帯夜は八九十で
熱帯夜は八九十で
熱いって。

熱帯夜も八九十で飲めばご機嫌だって!

写真は、越中詩朗考案のオリジナルカクテル「サムライ」を作ってくれている、マスターJ氏だって!

飲むって!

ほろ酔いベリーダンサーが踊ってくれるっつうから、ならばとこっちも前座でイタリアン・ダンス披露したって!

文=Dr.K


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